子安さんのお話しで興味深かったこと,先ずその履歴,BOOWYの担当になってプロデューサーを決める際に3人の候補,最初が佐久間正英さん。佐久間さんは最初断ろうと思って無理な条件(ベルリンでレコーディング)、意外にも即オーケー。もう2人の候補とは土屋昌巳さんと銀次さん。ウルフルズのプロデュースを決める時は関西人でギターが弾けてバンドでR&Bのことが分かって歌詞ができる人、といったら銀次さんしかいない。
「ガッツだぜ」のできる過程や大瀧さんの「福生ストラット」を「大阪ストラット」にしてトータスのラップを入れるアイデア等実にうまいタイミングで決まっていく秘話も紹介。子安さんの関わったアーティストに由紀さおりさん、ピンクマルティーニと組んだ1969プロジェクトも由紀さんにキーを下げさせて得意技を封じたことによってとんでもない力を生み出した。
子安さんの頭には大瀧さんから言われた「過去の成功があっても新人の気持で臨まないとダメ」という教え。銀次さんも常に大瀧さんから言われたアドバイスをヒントにしてプロデュース
大瀧さんの存在がこのお二人の仕事の成功に繋がった「先達はあらまほしきことなり」ということわざを思い出し。大瀧さんの影の力をここでも思い知ったトーク・イベント。