Neach’s One Phrase

ニーチ観察日記→ニーチ報告日記です。

昨日も夜の唄声セッションのレイアウトを前日に済ましていたので余裕を持って店を開けることが。武蔵小山は両社祭、外は賑やか、冷房の利いた地下はお客さんも訪れず静かなもの。
内田樹くんから送られていた『街場のメディア論』。鋭いメディア批判と分かり易い例証でかゆいところをかいてくれた内田節炸裂の文章。神戸女学院の授業で学生たちに行ったものを採録したものでマスメディア、特に新聞、テレビの報道の定型化をかなりきつい言葉で批判。Neachも新聞、特にテレビに関しては以前、内田くんに「批判するのもいやだ」などと勝手な嫌悪感を述べただけにこうして噛み砕くようにどうしてテレビというメディアがダメなのかを説明してくれると思わず膝を打ちたくなって。
一つだけひっかかったところ。メディア批判をしている中でどれだけの人が自分が当事者と思って彼の批判を聞くのかという点。メディアが好んで使う「演技的無垢」を指摘。誰がそのことを自分の瑕疵と思って反省するのか、あるいは別の行動に出るのかという点が見えて(こない。多分その可能性は少ない。指摘した内田くんのせいではなく、一般論としてマスメディアのただ中にいるジャーナリストや番組担当者が内田くんの言うところの命をかけた知性で従来の悪癖と戦うとはどうしても思えないから。
本来マスコミという定義がそういった自制の念等を押し殺したところで機能する存在だと思うから。それらのマスコミ当事者に向けた矛先であるはずが、内田くんと近い考えの側の論証に。マスメディアの諸問題がいい方向へ向う警告の書としてとらえ、どれだけの当事者(テレビや新聞の内部にいる人間)に働きかけたかという点で評価すべきでは。