Neach’s One Phrase

ニーチ観察日記→ニーチ報告日記です。

立川談志家元が亡くなったという報。
2001年10月1日に志ん朝師匠が亡くなった時の喪失感も大変大きなもの、今回の喪失感も表現のしようが(ない)。家元の高座はその昔、渋谷の東横百貨店上階にあったホール寄席で初めて観て以来、ずっと追っかけていた噺家だっただけに思い出も一入。例えば2006年5月3日の『笑志のにぎわE』という公演で「やかん」をいつになく機嫌よく演じていた最中、もうすぐさげに入るという時に心ない観客が「面白くない」と口走った言葉が家元の耳に届き、「俺のプログラムのどこに面白いって書いてあるんだ」と言って口論となり、「これでお仕舞い!」と言って高座を降りてしまった事件など今となっては懐かしい思い出。
個人的には同じ年に『バートン・クレーン作品集』という復刻CDを出して、真っ先に家元にお送りしたところ、すかさずお礼状をいただき、一生の宝物となったことも忘れられない事件。その後、家元のマンション下のせんべい屋さんの前で行われた蚤の市で直接お話し、そのお葉書のお礼を申し上げたところ、いきなり「ウーン、古川ロッパはねー」と話してこられ、それが次にロッパさんのCDを企画するきっかけになったことも有り難い思い出。(その際、「これ、持っていけ」と言われ高価な『懐かしの流行歌集』というSPレコードの歌詞カードを集めた本をいただいたのが今、店に。)
家元は毀誉褒貶の激しい、毒舌で鳴らした稀代の噺家名人、neachは「偽悪家」談志という括りでとらえて。偽善家は世に多い、自らの優しい本性を隠し、時に過激に時に危ない発言で憎まれ、話題にことかかない偽悪家が談志さん。一方で物議を醸し出す反面、家元ほどファンに対するサービス精神の持主はいなかった。家元にとっても地元、neachにとっても地元となる下丸子の大田区民プラザのプラザ寄席で毎回、家元を慕って観にいらっしゃる地元の方達に高座が終わってからも幕を上げさせ、ファン・サービスの話しをしてくれる家元をneachは何度も観て。NHKラジオの公開放送にも参加して生の談志さんをこの目で確認しようと数回申し込んで参加。ある方のご好意でチケットのとりにくい一人会も何度か足を運ぶことができ、その度に天才的な語り口についうっとりと観てしまったことも今となっては空しい思い出。物事、人の命は永遠ではない、ということを最近の悲しい話題で思い知る結果、とりわけ思い入れの激しかった立川談志という噺家を失ったことは大きな喪失感。
今はただ家元のご冥福をお祈りして喪に服すことに。立川談志師匠、沢山の思い出をありがとうございました。