Neach’s One Phrase

ニーチ観察日記→ニーチ報告日記です。

ひとりの悲しみズー・ニー・ヴー
宮治さんの『MY LITTLE HOMETOWNー茅ヶ崎音楽物語』は興味深い話しが満載。序章で「十曲を入り口にして、茅ヶ崎が生んだ音楽のスターを書く」という触れ込みで章を分けて触れていたのでその十曲を章の題名とともに紹介。第一章「ブラック・サンド・ビーチ」ここでは加山雄三サウンド茅ヶ崎が嚆矢であったエピソード。大スターが茅ヶ崎にいることの驚きと僥倖を若い頃の体験談。第二章「思い出の渚」グループサウンズの中心人物だったワイルド・ワンズの加瀬邦彦さんをフィーチャリング。第三章は「真冬の帰り道」:ランチャーズのデビュー・ヒット曲が生まれるまでを従兄弟の喜多嶋修の足跡。洋楽扱いだった『EXCITING SOUNDS OF YUZO KAYAMA』のレコーディングの模様が紹介。<このアルバムこそが日本のポップスの出発点であることに疑いの余地はない。>という確信。neachもこのジャケットに一つも日本語表記の見られないアルバムを長い間、愛聴盤として聴いていた思い出が甦り。第四章「恋のしずく茅ヶ崎出身の稀代の作曲家、平尾昌晃の出自から紹介。第五では茅ヶ崎にゆかりのベンチャーズの「ダイヤモンド・ヘッド」、そのランドマークとなった「パシフィックパーク」(桑田佳祐の父親はここでビリーヤード場を経営)を加山雄三との関わり。この名物リゾート物件も莫大な借金騒動とともになくなってしまった。第六章「また逢う日まで」のヒットで有名は尾崎紀世彦にスポット、ズー・ニー・ブーの「「ひとりの悲しみ」が「また逢う日まで」に生まれ変わるいきさつを紹介。neachの中ではヤング720というテレビ番組にワンダーズというバンドのヴォーカル。第七章ではレコード漁りの毎日の中で知った高田渡の「あきらめ節」,曲の作者、添田唖禪坊,異端のフォーク・ソングとも関わりを説明。第八章「ブルー・スェード・シューズ」同級生の桑田佳祐、ともに野球少年だった頃のオマージュが宮治さん独自の体験として語られ一番興味深い記述が多い章。第九章の「ピンク・シャドウ」では東京から茅ヶ崎が音楽の発祥の地と呼ばれるようになる「ブレッド&バター」というカフェの紹介やそこで桑田佳祐がDJをやった逸話などが語られ興味深い章。ハイライトともいうべきサザン・オールスターズ誕生のいきさつは面白過ぎるので明日の話題に。宮治淳一という人の役割というか昇華した「縁」が功を奏する。